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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区駒込1-6-8

曹洞宗
 従容山 福寿院

 
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所在地 豊島区駒込1-30-12

 日枝神社
 旧上駒込村字新屋敷の鎮守。東側が開けていたことから江戸時代は「朝日山王宮」と呼ばれていた。
 祭神は大山咋神を主神とし、素戔鳴尊・大己貴尊・少彦尊を合祀している。
 「新編武蔵風土記稿」は、慶長年間(1596~1614)以前から祀られていたとする説を紹介している。
 風土記稿編纂当時の神主は沢田近江といい、先祖の大江免毛が万治3年(1660)からその任にあったとしている。また、元文元年(1736)に大江大夫橘為稠によって再興されたとする説があるほか、延享元年(1744)に本社が造営されたという記事が「武江年表」・「新編江戸志」などに見られる。
 江戸時代の小日向の僧、津田敬順は、その著書『遊歴雑記』の中で、神主の沢田近江の居宅からの眺望が最もすばらしいと述べている。また、「実に雅人の愛すべき土地」といい、歌人や俳人が来訪して宴を楽しみ、自らも沢田の居宅で茶を楽しんだことも記されている。
 境内には、明和2年(1765)の銘がある手水鉢があり、鳥居の脇には、正面に「右朝日山王宮」と刻まれた、文久元年(1861)のものと思われる道標がある。また、「傳中親睦会」と刻まれた石柱があるが、これは古い鳥居の一部である。「傳中」は「殿中」とも書き、上駒込村の字の一つで、六義園が柳沢吉保の屋敷だった頃、将軍綱吉の御成を待つ供の様子が、あたかも殿中の様であったことから、その一帯をこう呼ぶようになったという。
 2010年(平成22年)2月 豊島区教育委員会



 日枝神社には『手水鉢』、『道標』があります。



 


所在地 豊島区駒込2-6-15

 駒込妙義坂子育地蔵尊
 この地蔵尊は、日光御成道(本郷通り)の妙義坂の途中に祀られています。地蔵尊の由来は古文書に次のように記されています。
 「寛文八戌申年十月、旧邸ノ南丘陵ノ地ヘ間口二間、奥行三間ノ堂宇ヲ建設シ、地蔵尊像(石像丈二尺三寸)一体ヲ造立、同堂ニ安置シ子孫繁栄ヲ誓願ス 爾来有志ノ老若男女、毎月此堂ニ集シ念仏供養ヲ営ム 此地ハ今井家始祖ノ墳墓ノ旧跡地ト云傳 又堂宇ノ西拾間余地小丘アリテ三ッ塚ト称スル塚アリ是ハ南北朝ノ官兵戦死者及び新田、今井ノ両家ノ諸士戦死ヲ合祀セシ地ト云傳」
 これによれば、寛文8年(1668)に駒込の今井家が子孫繁栄を祈願して地蔵尊とお堂を建立し、以来地元有志によって毎月念仏供養が営まれたことがわかります。
 戦前は70坪ほどの境内に多くの供養石像が並列し、節分には豆まきが盛大に行われ、24日の縁日には夜店が立ち並び、大変賑わいました。昭和20年(1945)4月に大空襲でお堂が焼失し、戦後ここに駒込診療所が開設し、その一角に祀られました。現在は城官寺(北区上中里)の境外地蔵尊として祀られています。
 地蔵堂内に、おかっぱ頭のセーラー服姿の童女が片手に宝珠を持ち、もう一人は錫杖を持って手をつないでいる供養碑があります。これは昭和8年(1934)にこの近くで交通事故にあって亡くなった11歳の仲良しの少女を供養するために建てられたもので、以後子育地蔵尊とともに地域の安全を見守り続けています。
 平成18年(2006)4月、駒込駅前通り商店街振興組合創立50周年および駒込2丁目親和会戦後60周年の記念事業として、新地蔵堂の建立と境内改修が行われました。
 平成18年(2006)4月 豊島区教育委員会

















所在地 豊島区駒込3-12-8

 旧丹羽家住宅蔵
 この蔵は、丹羽家に残されていた記録から、昭和11年(1936)の建築であることがわかっています。もとは主家の北側に木造2階建ての蔵が建っていましたが、8代目茂右衛門が、9代目の結婚の際に主屋の増改築とあわせて、鉄筋コンクリート造りのこの蔵に建て直しました。
 蔵は出入口を東面に設け、増築した六畳間と廊下で主屋とつながっていました。出入口の観音開きの鉄製扉の内側に家紋(五三桐)が付いています。また扉上部と両脇の柱に大理石が貼られるなど、装飾に気を使っている点が注目されます。
 外壁は、昭和初期の土蔵や店舗などに多く用いられた工法である、モルタル下地に大理石の砕石粒洗出し仕上げになっています。また外壁の腰巻、水切り、雨押え、鉢巻などの細部や、窓の庇の銅板葺きなどに職人の丁寧な仕事ぶりがうかがえます。
 蔵の内部は、地価に収納庫を設け、床板には槍板を用い、壁はモルタル下地に漆喰塗りで仕上げています。特に1階の天井や梁(はり)化粧面取りなどに投じの左官技術がよく表われており、意匠的にも優れています。
 このように、旧丹羽家蔵は、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造でありながらも、細部には職人の技術や建築主のこだわりが見られます。建築後70年以上が経過していますが、昭和初期の建築当時の姿を残しています。
 これらの点が評価され、平成20年(2008)3月7日に国の登録有形文化財建造物になりました。











所在地 豊島区駒込3-12-8

 旧丹羽家腕木門
 旧丹羽家の門は、腕木と呼ばれる梁で屋根を支える腕木門と呼ばれる形式で、簡素な構造ですが格式のある門です。
 この門の建築年代を明らかにする記録はありませんが、言い伝えによれば、染井通りをはさんで向かい側にあった津藩藤堂家下屋敷の裏門を移築したといわれています。
 当所の部材と考えられる親柱には和釘が使用され、風蝕もかなり進んで木目が深く浮き出ています。また、都内の類例と比較して大名家の裏門として使われても不思議はない規模と構造といえます。解体工事の過程で墨書が発見され、弘化4年(1847)、嘉永6年(1853)、安政6年(1859)の3回修理が行われていたことが判明しました。少なくとも建築年代は弘化4年以前ということになります。
 この門が丹羽家の所有になった年代ははっきりしていませんが、当時は、染井通りに面して建っており、丹羽邸内に移築した時と、染井通り側にマンションを建てるため現在地に曳屋(建物を解体しないで、そのまま場所を移動させること)した時の少なくとも2回移動しています。また昭和10年(1935)の主屋の増改築とあわせて門の屋根を、柿葺き(こけらぶき)(薄い木片を重ねて敷きつめた屋根)から瓦葺きに葺き替えたといわれています。一方、親柱、冠木、袖戸、両開き扉などは杉で当所からの部材と考えられ、板扉に見られる技法から、建築当時の姿を概ね残しているといえます。
 江戸時代の腕木門としては区内で唯一の事例であり、植木の里・駒込の歴史を物語るシンボル的存在として長年地域の人々に親しまれています。
 このように、染井の植木屋として活躍した旧家の遺構である旧丹羽家腕木門は、豊島区における貴重な文化遺産であることから、平成19年(2007)8月3日、豊島区指定有形文化財になりました。










所在地 豊島区駒込6-8-11

顕本法華宗
 実妙山 法成寺



 


所在地 豊島区駒込6-11-4

 染井稲荷神社
1、ずっと昔からあった染井村
 いまのそめいよしの町会のあたりで350年前にその名を刻んだ石像がある。
1、建てられたのは300年以上も前
 関東大震災や繊細にも拝殿・本殿はもえなかった。火防の神。
1、ご神体は2体
 保食命と320年前に御霊入れされた十一面観音の石像が安置されている。
1、珍しい大切な宝もの
 葵のご紋入り瓶子(お酒を飲む道具)一対や、奉納舞につかわれた古い締太鼓と胴長鼓が保存されている、「カンシンの股くぐり」の額も貴重なものです。










所在地 豊島区駒込7-1-1

曹洞宗
 法輪山 泰宗寺

 


所在地 豊島区駒込3-16-16

 妙義神社(太田道灌公戦捷祈願之舊趾)
 当社の祭神は、高御産霊神・日本武尊・神功皇后・応神天皇である。文政11年(1828)に成立した『新編武蔵風土記稿』の記述によれば、日本武尊が東征の時にこの地に陣営をしき、のち白雉2年(651)5月に社を建てて白鳥社と号したという。これによれば、宮内最古の神社ということになる。
 くだって文明3年(1471)5月、足利成氏との戦いを前にした太田道灌は当社に参詣し、神馬・宝剣を捧げて戦勝を祈願した。その際、「雲払ふ 此神垣の 風の音」と連歌を詠み、この戦いでは、成氏を敗走させたという。
 続いて道灌は、文明9年(1477)の豊島勘解由左衛門との戦いの際、さらに同11年(1479)の千葉孝胤攻略の折にも戦勝祈願に当社に参詣したといわれている。こうした故事から、「戦勝(かちいくさ)の宮」とも呼ばれて信仰を集めた。その一方で、大永年間(1521~1527)には江戸城代遠山丹波守が、また永禄12年(1596)には守護富永神四郎が当社を修理したものの、天正年間(1573~15991)に松田尾張守康秀が社領を没収したのち衰廃するなど、当社にとって戦国時代は波瀾の時期でもあった。
 境内には、寛永19年(1642)11月に駒込村の農民によって建立された庚申塔が遺されており、当該地域の信仰の拠点となっていたことが推察される。
 平成9年(1997)3月 東京都豊島区教育委員会






 妙義神社には『庚申塔』、『道灌霊社』、『歌碑』、『「稲荷明神・天満宮・弁財天」祠の碑』があります。


所在地 豊島区駒込6-11-4

真言宗豊山派
 藤林山 歓喜院 西福寺

 豊島八十八ヶ所霊場62番札所

 真言宗豊山派の寺院で、藤林山歓喜院と号し、西ヶ原無量寺の末寺である。
 本尊は、徳一大師の作といわれている木造阿弥陀如来立像である。創建の年代は明らかでないが、「江戸切絵図」や「江戸名所図会」・「新編武蔵風土記稿」などにも記事があり、駒込に江戸時代から続く寺院である。
 この寺が位置する染井地域は、江戸時代、大名屋敷が多くあり、近くに津藩藤堂家の下屋敷があったことから、その祈願寺となっていた。また、近隣には植木屋も集住しており、その菩提寺ともなっていた。
 かつての境内地は、非常に広大であったが、明治維新後に縮小されたといわれている。
 境内には、明暦元年(1655)に造られた六地蔵がある。これは「六道」すなわち地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道について教えを説くための六体の地蔵が刻まれたものであり、豊島区内では最古のものである。
 墓地には、徳川将軍家の御用を務めた植木屋として名高かった伊藤伊兵衛政武(4代目、宝暦7年〔1757〕没)の墓がある。政武は樹仙と号し、『増補地錦抄』などを著わした、江戸時代の先駆的な植木屋である。この墓所は、東京都史跡に指定されている。
 平成23年(2011)3月 豊島区教育委員会





 西福寺には『伊藤政武墓』、『伊達慶邦公墓址記念碑』があります。

 


所在地 豊島区駒込6-11-4 (西福寺)

 伊達慶邦公墓址記念碑

陸奥国仙台藩第13代藩主伊達慶邦(だてよしくに)公は明治7年(1874)逝去され、ご遺体は当寺に納められた。明治23年(1890)に仙台大年寺伊達家墓所へと改葬された。その後、大正9年(1920)に家臣であった佐藤素拙の意思を継ぎ、その子佐藤喜六により墓址記念碑が建立された。慶邦公報恩謝徳の為、仙台藩士として長く公に仕えてきた佐藤素拙顕彰の為、建立せられたものである。
 平成23年(2011)4月吉日 藤林山 西福寺


所在地 豊島区駒込6-11-4 (西福寺)

 伊藤政武墓
 江戸時代中期の園芸家。政武は江戸の北、染井村(現在の豊島区駒込6、7丁目付近)の伊藤三之丞の子として延宝4年(1676)に生まれた。号を樹仙という。伊藤家は代々伊兵衛を名乗り、近くの伊勢津藩藤堂家の下屋敷に出入りして、庭の世話をしているうちに植木屋となり、江戸第一の種苗商となった。その種苗目録を『地錦抄』という。4代目の政武は江戸城にも出入りして将軍吉宗の御用植木師となり、城内の植木を管理していた。日本の園芸が独自に発達したのは江戸時代であり、キク、ツバキ、カエデ、ツツジ類、アサガオなどの園芸植物が改良され、また、朝鮮や中国をはじめ外国からも多くの植物が輸入されている。政武は特にカエデを好み、深山楓に舶来の楓を接き木することに成功した。
 写実的な絵画を得意とし、園芸植物に関する著書に『草花絵前集』『増補地錦抄』『広増地錦抄』『地錦抄附録』などがある。宝暦7年(1757)10月2日81歳で死去した。
 平成5年(1993)3月31日建設 東京都教育委員会


所在地 豊島区駒込7-2-4

浄土宗
 正業山 専修院 迎接寺
     (伊藤伊兵衛屋敷跡) 

専修院は、元和3年(1617)に(一説に慶長2年〔1597〕)、開山である得蓮社業誉上人迎阿弁教和尚が江戸の浅草新寺町(現台東区松が谷1丁目)に創立した浄土宗の寺院であり、正式には正業山専修院迎接寺という。本尊は阿弥陀如来である。
 その後、東京府による市区改正事業のため、明治41年(1908)に浅草区北松山町61番地から北豊島郡巣鴨町大字上駒込字染井888番地(現在地)に移転し、現在に至っている。
 この土地は、江戸時代に多数の植木屋が集住していた上駒込村染井を代表する伊藤伊兵衛の屋敷跡と考えられ、平成9年(1997)4月から6月にかけて実施された埋蔵文化財発掘調査では、おもに植木屋が繁栄した江戸時代後半の遺構が発見された。建物の礎石や地下室のほか、溝や生け垣を何度も作り直した跡などがあり、広い敷地の中を区切って利用していた様子がうかがえる。さらに、縄文土器も出土しており、周辺に縄文時代の遺跡が広がっていることも確認された。
 境内には、伊兵衛に関係するとみられる寛永18年(1641)造立の宝篋印塔をはじめ、乾元2年(1303)造立の板碑、富士講先達の元祖である藤原角行や浄瑠璃の富本節家元である富本豊前掾代々の墓など、多くの貴重な文化財が残されている。
 平成11年(1999)3月 東京都豊島区教育委員会




 専修院には『富本豊前掾代々の墓』、『板碑』、『藤原角行墓』、『フレッド・シー・シャーマン墓』、『宝篋印塔』があります。


所在地 豊島区駒込7-2-4 (専修院)

 フレッド・シー・シャーマン墓
昭和50年(1975)4月29日歿79歳
佛光印紫山平等沙満居士

故F.Cシャーマン先生は昭和24年(1949)12月来日されてより27年の長きにわたりお茶の水の地にて無料歯科診療、英会話、料理教室など日本人のためにつくされました。
こよなく愛された日本の地に先生の魂のやすらかなることをお祈り致します。





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