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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区駒込7-2-14

顕本法華宗
 法林山 蓮華寺



 蓮華寺には『夏目成美墓』があります。


所在地 豊島区駒込7-4-14

臨済宗妙心寺派
 萬年山 勝林寺





 勝林寺には『田沼意次墓』、『浅尾藩蒔田家墓所』があります。

 


所在地 豊島区駒込1-10-15

 「鹿碑」と「瘞賜豬碑」(旗本本郷丹後守下屋敷跡)
 この地は、江戸時代後期以降旗本・御家人の屋敷地として使用されていた土地で、幕末に発刊された「江戸切絵図」には、旗本本郷丹後守の下屋敷であったことが明記されている。
 ここに立つ2基の石碑は、寛政7年(1795)造立お「鹿碑」と、嘉永2年(1849)造立の「瘞賜豬碑」であり、ともに旗本本郷氏によるものである。
 石碑には、将軍が行なった鹿狩に本郷氏が側近として同行し、その際将軍から獲物を可賜されたことなどが刻まれている。いずれも豊島区域内にかつて居住していた武家の歴史を示す貴重な文化遺産として豊島区指定有形文化財になっている。
 明治時代になると、明治維新の三傑といわれた政治家木戸孝允(桂小五郎)がこの地を入手し別邸とした。その後、この地域は急激に都市化が進行したが、2基の石碑は、土地所有者のの文化財に対する理解のもと、現在まで大切に伝えられてきたのである。
 平成10年(1998)11月27日 東京都氏まく教育委員会










所在地 豊島区駒込3-2-11

 大国神社



 大国神社には『藤田氏報恩之碑』があります。

 


所在地 豊島区駒込5-5-1

 染井霊園



 染井霊園には『長池堤』、『岡倉天心墓』、『二葉亭四迷墓』、『浜尾新墓』、『陸羯南墓』、『巖本善治墓』、『若松賎子墓』、『水原秋桜子墓』、『高村光雲墓・高村光太郎墓・高村智恵子墓』、『ローデスカ・ワイリック墓』、『安岡正篤墓』、『伊藤道郎墓』、『井上範墓』、『奥宮健之墓』、『下岡蓮杖墓』、『下條康磨墓』、『下瀬雅允墓』、『海野勝珉墓』、『梶田半古墓』、『樺山資紀墓』、『関根正直墓』、『高安月郊墓』、『結城素明墓』、『五島美代子墓』、『熊谷直彦墓』、『宮武外骨墓』、『藤堂高献墓』、『藤岡作太郎墓』、『土方久元墓・土方与志墓』、『田村直臣墓』、『坪井誠軒墓』、『坪井正五郎墓』、『坪井信良墓』、『長田秀雄墓』、『長瀬富郎墓』、『淡島寒月墓』、『大田黒元雄墓』、『多田北烏墓』、『川田小一郎墓』、『石川倉次墓』、『石川一郎墓』、『石川倉次墓』、『石川一郎墓』、『杉亨二墓』、『巖本真理墓』、『野村文夫墓』、『末弘厳太郎墓』、『北田薄氷墓』、『平田銕胤墓』、『幣原喜重郎墓』、『福田英子墓』、『福岡孝弟墓』、『浜尾四郎墓』、『萩野由之墓』、『波多野精一墓』、『松浦武四郎墓』、『小河一敏墓』、『勝沼精蔵墓』、『若槻礼次郎墓』、『、『寺本義久墓』、『餐庭篁村墓』、『山田文應墓』、『山田美妙墓』、『三上参次墓』、『笹川臨風墓』、『阪本四方太墓』、『高良斎墓』、『高田早苗墓』、『高嶺秀夫墓』、『藤堂高紹墓』、『藤堂高潔墓』、『水戸徳川家墓所』、『松浦陸墓』、『松浦詮墓』、『松浦厚墓』、『岩崎豊彌墓』があります。

 


所在地 豊島区駒込5-5-1 (染井霊園)

 ローデスカ・ワイリック墓 1856~1914
 アメリカ合衆国オハイオ州マンスフィールドの貧しい農家に生まれる。1890年(明治23年)ドレイク大学を苦学して卒業。直ちに宣教師として来日。5年間にわたり伝道活動に携わり、一時帰国、翌1896年再び来日し、教会を開いて伝道に努める一方、学習院や、府立四中(現在の都立戸山高校)等で英語を教え、多くの孤児や捨て子を自宅に引き取って養育した。
 また、当時偏見の強かったハンセン病患者の施設を訪問し、奉仕活動にも尽くした。
 日露戦争(1904~1905)が始まると、ワイリックは、戸山の陸軍病院に励まし、献身的な看護に当たり、いつしか「東洋のナイチンゲール」と呼ばれるようになる。
 意志の強い反面、物静かで心優しい人だったという。
 人類愛と奉仕活動に尽くした信念の人、ロダスカ・ワイリックは1914年(大正3年)4月3日東京赤坂の病院で死去。
 享年57歳。ここ染井霊園で永遠の眠りに就く。










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