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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区駒込7-2-4

浄土宗
 正業山 専修院 迎接寺
     (伊藤伊兵衛屋敷跡) 

専修院は、元和3年(1617)に(一説に慶長2年〔1597〕)、開山である得蓮社業誉上人迎阿弁教和尚が江戸の浅草新寺町(現台東区松が谷1丁目)に創立した浄土宗の寺院であり、正式には正業山専修院迎接寺という。本尊は阿弥陀如来である。
 その後、東京府による市区改正事業のため、明治41年(1908)に浅草区北松山町61番地から北豊島郡巣鴨町大字上駒込字染井888番地(現在地)に移転し、現在に至っている。
 この土地は、江戸時代に多数の植木屋が集住していた上駒込村染井を代表する伊藤伊兵衛の屋敷跡と考えられ、平成9年(1997)4月から6月にかけて実施された埋蔵文化財発掘調査では、おもに植木屋が繁栄した江戸時代後半の遺構が発見された。建物の礎石や地下室のほか、溝や生け垣を何度も作り直した跡などがあり、広い敷地の中を区切って利用していた様子がうかがえる。さらに、縄文土器も出土しており、周辺に縄文時代の遺跡が広がっていることも確認された。
 境内には、伊兵衛に関係するとみられる寛永18年(1641)造立の宝篋印塔をはじめ、乾元2年(1303)造立の板碑、富士講先達の元祖である藤原角行や浄瑠璃の富本節家元である富本豊前掾代々の墓など、多くの貴重な文化財が残されている。
 平成11年(1999)3月 東京都豊島区教育委員会




 専修院には『富本豊前掾代々の墓』、『板碑』、『藤原角行墓』、『フレッド・シー・シャーマン墓』、『宝篋印塔』があります。
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