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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区東池袋1-50-23

 池袋水天宮
御祭神  天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
      安徳天皇 第八十一代
      建礼門院 高倉天皇の中宮・安徳天皇の祖母
      二位ノ尼 平清盛の妻・安徳天皇の祖母・建礼門院の母
 今から800年昔、寿永4年(1185)、日本の国は源氏と平氏の二つに分かれて戦った。最後の決戦の場になった赤間関(下関市)の沖合、壇ノ浦の戦で敗れた平家の女官按察使の局が源氏の目を逃れ久留米付近に落ちのび、一門と共に入水された安徳天皇、建礼門院、二位の尼の御霊をささやかな祠をたててお祀りしたのが創めです。
 さらに天御中主大神(この国をつくったと伝えられる神)を祀り、やがて平家の三方とこの神の四柱を祀るこの祠を水天宮と称されるようになりました。
 慶長4年(1600)有馬豊氏は、家康から筑後川沿岸を領有する久留米藩主を命ぜられました。2代目有馬忠頼は、このあたりの村人たちが厚く水天宮を敬うのを知ると、立派な新社殿を建て寄進しました。
 この水天宮さまは筑後川のほとりにあったので、元来は名の水を司る神様で水天竜王ともいいます。
 阿蘇、九重の連山に源を発し、有明海に注ぐ九州第一の大河筑後川は、静かに流れているときは豊かな米、麦の実りを助けますが、大雨が降り続くとまるで狂った竜のように暴れて、人家を呑み田畑を流します。
 やがて藩主有馬頼徳の時代になって、参勤交代で江戸へ来ているあいだも郷里の天候が心配で、文政元年(1818)久留米の水天宮を江戸の藩邸内(港区赤羽)に分霊して祀り、筑後川の氾濫がなく、後刻が実るように祈願することにしたのです。
 そのころの江戸は世界一の大都市であったといわれており、また諸国から集まって来る大名が、多くの家来を連れて江戸へやって来るので、水天宮も参拝人で大層賑わったのです。
 明治維新により藩邸が接収され有馬邸が青山に移ると共に青山へ、さらに明治5年(1872)現在の日本橋蛎殻町に御鎮座致しました。
 そして池袋水天宮は、昭和3年(1928)に投じの池袋の有志の方々が池袋繁栄策の為に、日本橋蛎殻町の水天宮の御礼を頂いて来てお祀りしたのがその始まりです。
 その後地主さん方の都合によって数回移転を致し、終戦後げんざいちの池袋駅前公園内に御社殿を御造営申し上げたのです。
 さらに地域発展の為に協力援助に立ち上がられた方々が、池袋水天宮奉賛会の皆様です。
 その後、東池袋1丁目中央町会が奉賛会の運営を引き継ぎ、豊島区及び地域住民及び氏子皆様方の格別なるご支援とご協力の元に、護持されてまいりました。
 現在では、地域の集会や例大祭等を介して、コミュニティの場として地域のシンボルとなっています。
 平成12年(2000)、豊島区の池袋駅前公園改築工事に伴い、老朽化の目立つ水天宮の御社の全面改築工事を、近隣地域住民の熱意によりここに完成されました。
 平成12年(2000)6月吉日
 池袋水天宮奉賛会
 東池袋1丁目中央町会
 東池袋ウイロード商店街振興組合








所在地 豊島区東池袋2-51

 時習小学校・西巣鴨町役場記念碑



  豊島区立時習小学校跡地
時習小学校は、明治34年(1901)5月10日に時習尋常高等小学校としてこの地に創立されました。校名は、論語の「学而編」の一節「学びて時に之を習う」から引用されたものです。以来、平成15年(2003)に閉校となるまで100年以上にわたって多くの卒業生を送り出してきました。長年にわたり培われてきた伝統と校風は、統合後の朋有小学校(東池袋4丁目)に受継がれています。

  旧西巣鴨町役場跡地
時習小学校の敷地南側の一角には、旧西巣鴨町役場が建っていました。この位置に役場が建てられたのは、巣鴨村時代の大正2年(1913)で、昭和7年(1938)の豊島区の誕生までの約20年間にわたり使用されました。昭和13年(1938)には豊島区で最初の公会堂がこの地に建設されましたが、昭和20年(1945)、戦災により焼失しました。


所在地 豊島区東池袋2-56-7

 庚申塔

自然石・天保十三年

 「新編武蔵風土記稿」妙義社の項に「末社稲荷庚申・寛永寛永庚申ノ碑ニアリ、是ヲ神体トス」とありて江戸時代には稲荷として祀られていた事がわかる。
 昭和40年(1965)神社復興工事の際、境内土中より発掘され社殿左側奥に建立されたが今回の境内整備に伴い現位置に遷された。
 尚寛文2年(1662)の碑は失われたと思われる。
 平成10年(1998)9月建之

 


所在地 豊島区東池袋1-50-30

 四面塔
 享保の頃(徳川幕府8代将軍吉宗の頃)高田雑司ヶ谷と坂橋を結ぶ街道と礫川と東長崎を結ぶ街道の四ッ辻付近(現在の西部線池袋駅東口)は、夕方になると追はぎや辻斬りが出没し、夜はその難を逃れる為通行する人が途絶えました。
 享保6年(1721)の夏、一晩で17名の辻斬残骸があり、この不祥事を憂いて、池袋村民有志64人が雑司ヶ谷鬼子母神威光山法明寺第二十二世日相人に供養をお願いし、享保6年(1721)9月、法華経のお題目を刻した石塔を建立して無縁仏の霊冥福を供養しました。
正面には、お題目、右側面には、北の方板ばしみち、左面には、南方高田雑司ヶ谷道が記され、道標としても使われました。霊験あらたかな、この塔は四面塔尊と称され、以来、法華経の功徳により災難は解消されました。
 池袋四面塔尊奉賛会


    四面塔尊




    稲荷大明神






所在地 豊島区東池袋4-22

 豊島区立 日之出町公園




                      区画整理竣工記念碑



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