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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区北大塚2-14-7

 滝不動
 かつて、豊島区地域の東側ほぼ北西部から南東部に向けて谷端川が流れていた頃、現豊島区北大塚1丁目14番付近の谷端川沿いに石造不動明王立像があり、地元の人々の信仰を集めていた。川の流れが小さな滝のようになっていた場所に位置していたため、「滝不動」と呼ばれていたという。
 ところが、昭和10年(1935)頃に行なわれた谷端川の暗渠化工事に伴い、「滝不動」は所在場所の近隣居住者(北豊島郡巣鴨町2040番地)の個人所有となり、敷地内で維持管理されるようになった。その後、アジア太平洋戦争中の昭和20年(1945)4月13日に空襲の直撃を受け、台座部分を残して破損してしまった。
 昭和30年(1955)頃、かつての所有者が石造不動明王坐像として再造立し、空襲の際に破損を免れた台座に据え、所有者敷地内(南大塚3丁目28番)に安置した。その後、平成11年(1999)9月の所有者自社ビル建築に伴い、石造不動明王坐像も当地に移設されたのである。
 かつて谷端川沿いに所在した「滝不動」に関する情報は少なく、その姿を記憶している人も僅かである。しかしながら、本来地域住民の共有財産であったはずの「滝不動」が、形態は変化しながらも現在に伝えられ、再び元の所在地近くに移設されたことは、身近に所在■を文化財を後世に伝えていくことを考えるうえで重要である。
 平成11年(1999)10月 東京都豊島区教育委員会












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所在地 豊島区北大塚1-7-3

 菅原神社
 御祭神
菅原道真公
平安朝宇多天皇時代の人(845~903) 
政治家、学者そして歌人
 鎮座
室町時代 天文年間(1532~1555)
 大祭
毎年5月25日
 由緒
室町時代天文年間に巣鴨保坂氏の祖先、仁平(にだいら)三河守盛義(新編武蔵風土記稿巣鴨村の項参照)が三河の国から(一説には京都から)この巣鴨の地に来て、当神社の西方低地谷端川のほとりに陣屋と称する家屋敷を構え、巣鴨村立始の住人となって(駒込圓勝寺の墓石参照)土地の開墾に勤め、同時に屋敷の東西南北の小高い場所に神々を祭って屋敷神とした。北は氷川神社(北大塚1丁目38番地8号の辺り)、南は熊野神社(南大塚2丁目39番5号の辺り、現在は天祖神社内に移る)、西は稲荷神社(北大塚1丁目15番5号の辺り、又は同2丁目33番の辺り)、そして東に■■したもんが菅原道真公を祭るこの神社であり、最も広く、明治時代■■■下の道迄1,120坪の境内地を擁した。盛義は元亀2年(1571)に没し、その子は武士をやめて姓を保坂と改め、代々徳右衛門と■■■■になり、やがて江戸に徳川幕府がおかれ、中山道の往来がしげくなるにつれ、陣屋をすてて中仙道筋に移り、永く増上寺領巣鴨村の名主を勤めた。保坂氏の子孫は絶えることなく、当神社への奉仕を続けて懇意地に至っている。尚、この辺一帯の土地を天神山と唱えるのは、この御宮に由来するものであり、社号に子安の二字を冠するのは子育ての意味である。当神社は江戸時代の江戸惣鹿子名所大全、須原屋版分間大絵図等にも登載され、江戸名所図会の巣鴨真性寺の遠景にも描かれている。
 平成16年(2004)5月 菅原神社








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