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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 竹久夢二墓
 明治17年(1884)9月16日岡山に生まる。本名、茂次郎18才で上京。早稲田実業学校を卒業。絵画に専念する。抒情的画風から「夢二式」なる語が生まれる。「夢二画集」をはじめ、自装の美しい著作数十。ほか、あらゆる意匠図案に試みた先鞭的業績は高く評価される。晩年米・欧に遊び体をこわして帰国。昭和9年(1934)9月1日、信州富士見高原療養所に於て歿す。行年51。


  
  竹久夢二(1884~1934)
「大正ロマン」を代表する画家であり詩人。「夢二式」の美人画や『宵待草』などの叙情的な詩歌が大流行。若い日に雑司ヶ谷に住む。島村抱月に目をかけられ、また羽仁もと子の「婦人之友社」で絵画主任、さし絵を描く。墓の文字は画家の有島生馬。


所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 島村抱月墓
在るがままの現実を即して全的存在の意義を髣髴す 觀照の世界也 味を徹したる世界也 比心境を藝術と云う   抱月



  島村抱月(1871~1918)
早大教授。自然主義文学を唱導。松井須磨子と芸術座を興す。「早稲田の二秀才」と並び称された綱島梁川、親友の金子馬治(哲学者)、須磨子を巡って対立した東儀鉄笛(早大校歌の作曲者)。竹久夢二の才能を愛した。





所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 荻野吟子墓
  命燃えて  埼玉県知事 土屋壽彦書
  日本女医一号 荻野吟子抄 妻沼町長高橋茂撰
 明治18年(1885)刻苦勉励の末 女医公許の門戸を開いた吟子の波瀾と哀切の生涯が、昭和45年(1970)小説「花埋み」で紹介されるや、根性と愛が読む人の心を揺さぶる。更に故里で武観戯曲「荻野吟子抄」舞台化要望の高まりに、平成10年(1998)妻沼出身松竹(株)茂木近専務が奔走し、10月名優三田佳子主演「命燃えて」の新橋公園が喝采を博す。次いで平成12年(2000)2月埼玉女性の根性と三田の熱演に感動した土屋義彦埼玉県知事の英断で埼玉公演が成功し、平成13年(2001)3月女史生誕150年祭に道の駅めぬまに開業記念姿の女史石像建立に際し、石匠熊谷市野口大作、彫師杉戸町山下隆雄の協力で吟子兄保坪4代の裔八王子市荻野正司家墓所改修と併わせ、女史が眠る此処と瀬棚に同じ像を贈り、永く栄光を伝える。
 平成13年(2001)5月吉日
 埼玉県妻沼町建之
  白汀野口林造書  畊名野口孝刻 



 






所在地 豊島区駒込1-6-8

曹洞宗
 従容山 福寿院

 


所在地 豊島区駒込1-30-12

 日枝神社
 旧上駒込村字新屋敷の鎮守。東側が開けていたことから江戸時代は「朝日山王宮」と呼ばれていた。
 祭神は大山咋神を主神とし、素戔鳴尊・大己貴尊・少彦尊を合祀している。
 「新編武蔵風土記稿」は、慶長年間(1596~1614)以前から祀られていたとする説を紹介している。
 風土記稿編纂当時の神主は沢田近江といい、先祖の大江免毛が万治3年(1660)からその任にあったとしている。また、元文元年(1736)に大江大夫橘為稠によって再興されたとする説があるほか、延享元年(1744)に本社が造営されたという記事が「武江年表」・「新編江戸志」などに見られる。
 江戸時代の小日向の僧、津田敬順は、その著書『遊歴雑記』の中で、神主の沢田近江の居宅からの眺望が最もすばらしいと述べている。また、「実に雅人の愛すべき土地」といい、歌人や俳人が来訪して宴を楽しみ、自らも沢田の居宅で茶を楽しんだことも記されている。
 境内には、明和2年(1765)の銘がある手水鉢があり、鳥居の脇には、正面に「右朝日山王宮」と刻まれた、文久元年(1861)のものと思われる道標がある。また、「傳中親睦会」と刻まれた石柱があるが、これは古い鳥居の一部である。「傳中」は「殿中」とも書き、上駒込村の字の一つで、六義園が柳沢吉保の屋敷だった頃、将軍綱吉の御成を待つ供の様子が、あたかも殿中の様であったことから、その一帯をこう呼ぶようになったという。
 2010年(平成22年)2月 豊島区教育委員会



 日枝神社には『手水鉢』、『道標』があります。



 


所在地 豊島区駒込2-6-15

 駒込妙義坂子育地蔵尊
 この地蔵尊は、日光御成道(本郷通り)の妙義坂の途中に祀られています。地蔵尊の由来は古文書に次のように記されています。
 「寛文八戌申年十月、旧邸ノ南丘陵ノ地ヘ間口二間、奥行三間ノ堂宇ヲ建設シ、地蔵尊像(石像丈二尺三寸)一体ヲ造立、同堂ニ安置シ子孫繁栄ヲ誓願ス 爾来有志ノ老若男女、毎月此堂ニ集シ念仏供養ヲ営ム 此地ハ今井家始祖ノ墳墓ノ旧跡地ト云傳 又堂宇ノ西拾間余地小丘アリテ三ッ塚ト称スル塚アリ是ハ南北朝ノ官兵戦死者及び新田、今井ノ両家ノ諸士戦死ヲ合祀セシ地ト云傳」
 これによれば、寛文8年(1668)に駒込の今井家が子孫繁栄を祈願して地蔵尊とお堂を建立し、以来地元有志によって毎月念仏供養が営まれたことがわかります。
 戦前は70坪ほどの境内に多くの供養石像が並列し、節分には豆まきが盛大に行われ、24日の縁日には夜店が立ち並び、大変賑わいました。昭和20年(1945)4月に大空襲でお堂が焼失し、戦後ここに駒込診療所が開設し、その一角に祀られました。現在は城官寺(北区上中里)の境外地蔵尊として祀られています。
 地蔵堂内に、おかっぱ頭のセーラー服姿の童女が片手に宝珠を持ち、もう一人は錫杖を持って手をつないでいる供養碑があります。これは昭和8年(1934)にこの近くで交通事故にあって亡くなった11歳の仲良しの少女を供養するために建てられたもので、以後子育地蔵尊とともに地域の安全を見守り続けています。
 平成18年(2006)4月、駒込駅前通り商店街振興組合創立50周年および駒込2丁目親和会戦後60周年の記念事業として、新地蔵堂の建立と境内改修が行われました。
 平成18年(2006)4月 豊島区教育委員会

















所在地 豊島区駒込3-12-8

 旧丹羽家住宅蔵
 この蔵は、丹羽家に残されていた記録から、昭和11年(1936)の建築であることがわかっています。もとは主家の北側に木造2階建ての蔵が建っていましたが、8代目茂右衛門が、9代目の結婚の際に主屋の増改築とあわせて、鉄筋コンクリート造りのこの蔵に建て直しました。
 蔵は出入口を東面に設け、増築した六畳間と廊下で主屋とつながっていました。出入口の観音開きの鉄製扉の内側に家紋(五三桐)が付いています。また扉上部と両脇の柱に大理石が貼られるなど、装飾に気を使っている点が注目されます。
 外壁は、昭和初期の土蔵や店舗などに多く用いられた工法である、モルタル下地に大理石の砕石粒洗出し仕上げになっています。また外壁の腰巻、水切り、雨押え、鉢巻などの細部や、窓の庇の銅板葺きなどに職人の丁寧な仕事ぶりがうかがえます。
 蔵の内部は、地価に収納庫を設け、床板には槍板を用い、壁はモルタル下地に漆喰塗りで仕上げています。特に1階の天井や梁(はり)化粧面取りなどに投じの左官技術がよく表われており、意匠的にも優れています。
 このように、旧丹羽家蔵は、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造でありながらも、細部には職人の技術や建築主のこだわりが見られます。建築後70年以上が経過していますが、昭和初期の建築当時の姿を残しています。
 これらの点が評価され、平成20年(2008)3月7日に国の登録有形文化財建造物になりました。











所在地 豊島区駒込3-12-8

 旧丹羽家腕木門
 旧丹羽家の門は、腕木と呼ばれる梁で屋根を支える腕木門と呼ばれる形式で、簡素な構造ですが格式のある門です。
 この門の建築年代を明らかにする記録はありませんが、言い伝えによれば、染井通りをはさんで向かい側にあった津藩藤堂家下屋敷の裏門を移築したといわれています。
 当所の部材と考えられる親柱には和釘が使用され、風蝕もかなり進んで木目が深く浮き出ています。また、都内の類例と比較して大名家の裏門として使われても不思議はない規模と構造といえます。解体工事の過程で墨書が発見され、弘化4年(1847)、嘉永6年(1853)、安政6年(1859)の3回修理が行われていたことが判明しました。少なくとも建築年代は弘化4年以前ということになります。
 この門が丹羽家の所有になった年代ははっきりしていませんが、当時は、染井通りに面して建っており、丹羽邸内に移築した時と、染井通り側にマンションを建てるため現在地に曳屋(建物を解体しないで、そのまま場所を移動させること)した時の少なくとも2回移動しています。また昭和10年(1935)の主屋の増改築とあわせて門の屋根を、柿葺き(こけらぶき)(薄い木片を重ねて敷きつめた屋根)から瓦葺きに葺き替えたといわれています。一方、親柱、冠木、袖戸、両開き扉などは杉で当所からの部材と考えられ、板扉に見られる技法から、建築当時の姿を概ね残しているといえます。
 江戸時代の腕木門としては区内で唯一の事例であり、植木の里・駒込の歴史を物語るシンボル的存在として長年地域の人々に親しまれています。
 このように、染井の植木屋として活躍した旧家の遺構である旧丹羽家腕木門は、豊島区における貴重な文化遺産であることから、平成19年(2007)8月3日、豊島区指定有形文化財になりました。










所在地 豊島区駒込6-8-11

顕本法華宗
 実妙山 法成寺



 


所在地 豊島区駒込6-11-4

 染井稲荷神社
1、ずっと昔からあった染井村
 いまのそめいよしの町会のあたりで350年前にその名を刻んだ石像がある。
1、建てられたのは300年以上も前
 関東大震災や繊細にも拝殿・本殿はもえなかった。火防の神。
1、ご神体は2体
 保食命と320年前に御霊入れされた十一面観音の石像が安置されている。
1、珍しい大切な宝もの
 葵のご紋入り瓶子(お酒を飲む道具)一対や、奉納舞につかわれた古い締太鼓と胴長鼓が保存されている、「カンシンの股くぐり」の額も貴重なものです。










所在地 豊島区駒込7-1-1

曹洞宗
 法輪山 泰宗寺

 



所在地 豊島区高田1-18-1

 「山吹の里」の碑(山吹之里碑)












所在地 豊島区高田2-2-18

 高田氷川神社





高田姫稲荷神社


神明神社
伊勢神宮の皇大神宮(内宮) 天照大御神が奉斎されています。

 高田氷川神社には『山吹之里碑』、『狛犬』、『石造鳥居』があります。







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