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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区巣鴨4-35-1

  巣鴨庚申塚
 江戸時代に書かれた紀行文の「遊歴雑記」に当庚申塚を次のように書いている。
 「武州豊島郡巣鴨庚申塚は江戸より板橋の駅に入る立場なりよしず囲いの茶店あり団子茶屋と称す。
石碑を見るに明暦3年(1657)と彫られ、又古老からの聞き書きとして文亀2年(1502)に塔を建立高さ八尺なり然るに明暦3年(1657)正月世にいう振袖火事の大火おこり江戸市中九分通りを焼き払う、復興資材をひさぐものひきもきらず、たまたま当庚申塔に立懸けたる竹木倒れ石碑四つ五つに砕けたり、故に村中相議し丈を縮めて今の塔を再建し、文亀2年(1502)の碑を塚の下に埋めたりと言い伝えを物語る、されば巣鴨庚申塚というは文化12年(1815〔遊歴雑記発行年〕)に至りて314年に及ぶ、故に庚申塚とてその名高し」と書かれている。
 又、長谷川雪且の描いた江戸とその近郊の絵入り地誌「江戸名所図会」にはこの庚申塚に中山道の浮世絵にも当地の描写があり、付近の賑いが見られる。
庚申様を神として祭ったのがいつの頃か判然としないけれども、神社といては伊勢皇太神宮の一角に大きな区画を占めて猿田彦神社があり、神宮は猿田彦の先導により開かれたと称されている。このへんから道祖神との関連も結びつくようである。神道による庚申信仰も相当の歴史をもって受け継がれて来たのであり、当「巣鴨猿田彦大神庚申堂」もその好例であろう。
 前述のように文亀2年(1502)に建てた「庚申待供養板碑」は破損し明暦3年(1653)に作り直したものが現在御本殿に祭る「庚申塔」である。
戦前は町会事務所なども合築された堂宇であったが戦災で焼失、その為この石碑の文字も判読しにくいが、江戸時代の庶民信仰と地域の歴史を知る上で大切なものとして豊島区の登録文化財にもなっている。
 ところで、庶民の間に庚申講が盛んになった頃、「庚申待ち」という集まりが行われ、庚申の日に夜を徹して来世の幸福を願って天帝に祈り酒食を持ち寄って賑やかに過す、という祭りが流行した、今はすたれたけれども当更新堂にもその名残りが偲ばれる。
昭和46年(1971)に御本堂を再建し、以後昭和49年(1974)には御水舎、平成3年(1991)には山門も形を整え荘厳さを増して、参拝の方々に喜ばれている。
年に6~7回、庚申の日にはお祭りをして多くの信仰者を迎えている。
 御祭神は左の通りである。
地津主  甲子大巳貴神       道祖神
       関              寿命神 
天津祖  庚申猿田彦大神      金神
       連                            塩竃神
人津霊  巳己少彦名神               幸神
                       船玉神
 平成4年(1992)6月吉日 巣鴨猿田彦大神庚申堂 奉賛会







   庚申塚由来記
 全国的に有名な巣鴨の庚申塚にあった庚申塔は、高さ八尺で文亀2年(1502)造立、現存していれば区内最古の石碑。
 昔、巣鴨の庚申塚は中山道の本街道であり、板橋宿の一つ手前の立場として上り下りの旅人の往来が激しく、休息所として賑わい簡単な茶店も在り、人足や馬の世話もした。
 広重の絵にも描かれ江戸名所図絵で見ると茶屋に人が休み、人足の奪い合いをしている旅人もいて賑やかである。
 ここに団子などを売る茶店もできて藤の花をきれいに咲かせていたのが評判で、花の頃は小林一茶も訪れて、
 ふじだなに ねて見てもまた お江戸かな
の句もある。
 平成22年(2010)3月吉日


 巣鴨庚申塚には『「江戸の名所」碑』、『榎本留吉翁顕彰碑』があります。






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