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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区雑司が谷3-19-14 (本納寺)

 秋田雨雀墓
 明治・大正・昭和にわたる文壇で活躍し、その文士仲間からは「雑司谷の梟」とアダ名され敬愛された秋田雨雀は、本納寺の斜め向かいに住んでいました。その家は当時「雑司谷の童話の家」とよばれていたといいます。
 秋田雨雀は、社会主義思想家として、童話作家・戯曲家・詩人など、さまざまな顔をもっていました。晩年には兜木正亨(当山三十三世住職)との交流から、仏教にも大変興味を抱いたようです。
 また彼は雑司が谷という土地をこよなく愛し、地域活動にも力を注いでいました。今日、江戸の名残をつたえる「大門のけやき並木」も雨雀と兜木が昭和14年(1939)に保存会を設立し、昭和30年(1955)に東京都の天然記念物の指定を受けています。
 昭和37年(1962)5月12日、80歳をもって世を去りましたが、遺骨は、いく婦人の意によって郷里(青森県黒石市)には帰らず、雑司が谷に留まりました。

 
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所在地 豊島区雑司が谷3-15-20 (鬼子母神堂)

 大黒天堂
東京別院の大黒天尊像は功徳院大分本院に祀られる、『福録大黒天尊像』を分祀したものである。
当山は弘仁7年(816)、弘法大師空海上人が和歌山県高野山に開いた真言宗(本山金剛峰寺)の末寺で、延宝5年(1677)3月、大分県に松平家の子孫を祀る祈願所として建立。元は松栄神社の内官寺であったため、明治18年(1885)、護国神社の大増築に伴い、現在の大分県庄内町の権現岳(通称城山)に移転。以降、地域の零場として、僧侶の修行道場として栄え、現在も無数の石仏が城山山中に奉納されている。
『福録大黒天尊像』は功徳院の中興と、万民の幸せを祈念し、平成6年(1994)5月、大分本院の城山山頂(標高216米)に2年がかりで奉納安置された。
この尊像は中国山東省において赤御影石で彫刻されたもので、高さ3メートル、重さ18トン。一石彫りとしては国内最大級の大きさである。
大黒天は七福神の一で仏法僧(三宝)を好む福の神として産業振興、商売繁盛、家内安全、除厄招福などの霊験あらたかである。
東京別院の大黒堂は、大分本院『福録大黒天尊像』の霊験あらたかなるを、より多くの方にご享受いただき、その功徳とご利益のご縁を結んでいただく為に建立した。
この大黒堂に無数に奉納されている小さな『お願い大黒天』は、庄内福録大黒天尊像の五十分の一の大きさにかたどったもので、功徳院縁者の方々が種々の願いを託し奉納している。
大黒天は二体奉納され、一体は大黒堂に、名前・祈願を刻み奉納安置され、大黒天の縁日・甲子の日には大黒法を執り行う。もう一体はご自宅にお祀りするか、大分本院の大黒天の元に奉納するかを選択することが出来る。
多くの皆様の「信仰」「願い」を大黒さまという「像(かたち」)に託し、天下泰平、万民快楽なることを祈念したい。
 龍源山 功徳院



雑司が谷七福神
 大黒天



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