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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区巣鴨3-35-2

曹洞宗
 萬頂山 高岩寺

 とげぬき地蔵尊


 山号・寺号
萬頂山高岩寺
 開創年代
埼玉県熊谷市大字下奈良萬頂山集福寺五
世扶獄太助大和尚
 開創地
神田明神下(現千代田区外神田2丁目)のち下谷屏風坂下(現台東区上野7丁目岩倉高等学校附近)に移転
 当地移転
明治24年(1891)5月28日。同年9月24日入仏式。昭和初期に中仙道新道(現国道17号)建設により境内分割。現本堂完成昭和32年(1957)11月30日。庫裡完成昭和59年(1984)12月18日。
 
 正徳3年(1713)5月(徳川7代将軍家継の治世)、江戸小石川に住む田付氏の妻、常に地蔵尊を信仰していたが、一人の男児を出産後重い病気に見舞われて床に臥した。諸々の医者が手をつくしたが、病気は悪化の一途。彼女は生家に宿る怨霊によって女はみな25才までしか生きられないという父母の話を夫に伝えた。
 田付氏は悲しみの中に、この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがりするほかはないと毎日一心に祈願を続けた。
 ある日のこと田付氏の夢枕に一人の僧が立ち「自分の形を一寸三分に彫って河水に浮かべよ」という。田付氏が「急には彫り難い」と答えると「お前に印像をあたえよう」といわれ、夢がさめた。不思議な夢と枕元をみると、木のふしのようなものが置いてあり、平らな部分に地蔵菩薩のお姿があった。
 田付氏は夢にあった通りと不思議に思いつつも、地蔵尊の宝号を唱えながら形を印肉にしめして一万体の「御影」をつくり、両国橋から隅田川に浮かべ、一心に祈った。
 その日の夜午前2時頃、田付氏は妻の呼ぶ声にいってみると「今夢うつつの中に男があらわれ、長い棒と籠のようなものを持って枕上に立ちました。すると香染の袈裟をつけた一人の僧が出て来て蚊帳の外に引き出し、次の間で錫杖で背中をついて追い出してしまいました」といった。
 このことがあって以来田付夫人の病気はしだいに快方に向かい、11月中旬には床をはなれ、以後無病になった。
 田付氏がこの冷厳を山高氏の家で話していると、一座の中に西順という僧がいて、その御影をほしいといわれ、2枚をあたえた。西順は毛利家に出入りしていたが、ある時同家の女中が口にくわえていた針を飲みこんで大いに苦しんだ。西順が持っていた地蔵尊の御影1枚を飲ませると、腹中のものを吐き、御影を洗ってみると、飲みこんで針がささって出て来た。(享保13年〔1728〕7月17日=8代将軍吉宗の治世、田付氏が自ら記して高岩寺に献納された「霊験記」より)











 高岩寺には『洗い観音』、『小僧稲荷神社』があります。






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