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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区駒込5-5-1 (染井霊園)

 山田文應墓やまだぶんおう
 文応師は信州伊那に生まれ、天保10年(1839)同郡、専照寺の信州和尚のもとで剃髪し、その後諸国を巡り修行に励んだ
 嘉永6年(1835)の冬信州貞翔寺の首座となり、安政3年(1856)には江戸牛込・長安寺の文帝庭和尚のもとい入り、その後を継いだ。その後武蔵国・宝蔵寺、続いて小浜藩江戸酒井家の香華院長安寺の住職となる。明治4年(1871)藩主が長安寺を廃したので浅草高徳院に隠棲した。
 時に政府は府内の墓地の使用を制限したため東京府民は困っていた。文応師は、これを哀れみ大いに尽力してついに政府を動かしここ染井の地に共同墓地を開設した。
 明治29年(1896)夏発病し、明治32年(1899)5月21日大往生を遂げる。享年70歳であった。











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