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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区西巣鴨2-15-2

 大日堂
 この大日堂は、徳川幕府2代将軍秀忠(法名台徳院殿)とその婦人徳子(法名崇源院殿)に仕えた春海和尚により、承応2年(1653)に建立されたものであり、堂内には像高約1メートルの石造大日如来坐像が安置されている。
 『御府内寺社備考』によれば、春海和尚は湯島天神下に所在した平等山真如寺宝性院(現台東区池之端1丁目)の開山であり、もとは俗名久目助右衛門を名乗り「下男組頭役」として将軍夫妻に仕えた。秀忠と徳子の没後「新葬」の際に、宝性院は納経を行ったが、その時に与えられた布施で豊島郡巣鴨村内のこの地に土地を求め、石造大日如来坐像を安置するために大日堂を建立したという。この像の台座には、秀忠と徳子の菩提を弔うために本像が造立された旨が、像立年月日の承応2年(1653)2月28日の日付とともに刻まれていた。
 明治38年(1905)、無我愛運動の提唱者伊藤証信は、機関誌『無我の愛』を発行するとともに、大日堂を「無我苑」と称し九箇月にわたって同志とともに自炊生活を営んだ。証信の提唱した無我愛とは、一つの宗教や思想にとらわれず、あらゆる宗教・思想の根源を究め、宇宙の絶対真理すなわち無我の愛を活動の根本にするものである。証信は昭和38年(1963)に死去するまでの約60年間この精神運動を続けるが、この大日堂での生活はその出発点となったのである。
 昭和20年(1945)4月13日の空襲により石造大日如来坐像は大きく欠損したが、後に頭部と両腕は補われた。現在大日堂は、地元の大日坊奉賛会の方々により大切に管理されている。
 平成13年(2001)3月 東京都豊島区教育委員会






 大日堂敷地内には『』があります。



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