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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区巣鴨5-35-33 (慈眼寺)

 斉藤鶴磯墓
 江戸時代後期の儒学者。地誌研究家。宝暦2年(1752)水戸藩士の子として江戸に生まれた。通称宇八郎、諱は敬夫、字は之休、鶴磯は号である。寛政8、9年(1796~1797)から文化13年(1816)頃までの約20年間、江戸から離れて所沢に住み、鈴木牧之(秋月庵)の『北越雪譜』や赤松宗旦(義和)の『利根川図誌』と並ぶ江戸時代の地誌『武蔵野話初編』を文化12年(1815)に完成させた。翌年筆禍事件により所沢を去って江戸に移った。続編は門人の校訂によって文政10年(1827)に刊行された。他の著作に『女孝経補注』『干支考』『琢玉斎漫筆』などがある。文政11年(1828)2月7日77歳で死去し、深川猿江町にあった慈眼寺に葬られたが、寺院の移転により改葬された。
 平成5年(1993)3月13日建設 東京都教育委員会

 江戸中期各地を歩いて、綿密な調査と考証を重ね、名著『武蔵野話』を刊行した。武蔵野を科学的にとらえている点では、この時代の第一人者である。
 豊島区教育委員会
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