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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区南池袋2-12-5 (中野ビル)

雑司が谷七福神
 布袋尊
 有限会社中野ビル 布袋尊像は、大正6年(1917)7代当主中野岩雄の弟により親子像として建立された後、中野岩雄による株式会社中野石材商店の店頭に祀られて以来92年間池袋の歴史を見守り続けています。
 株式会社中野石材商店では、昭和10年(1935)9月大塚天祖神社に狛犬一対をお納めしており現存しております。
 親の布袋尊像の右肩は東京大空襲(昭和20年〔1945〕3月10日) 城北大空襲(昭和20年〔1945〕4月13日)の2度の空襲により破損戦禍の生き証人でもあります。
 昭和62年(1987)7月7日8代当主中野馨(かおる)により第六・七中野ビルが落成した際に、当ビル前に布袋尊像を安置致しました。
 平成22年(2010)1月地元渡邉隆男氏・菅原光生氏・戸張真克氏の、神仏に対する畏敬の心を醸成し地域の活性化と地域のコミュニティーの向上を目的とした雑司が谷七福神の設置趣意に賛同し、9代当主中野正人が社造営に着手同平成22年(2010)10月竣工いたしました。
 平成22年(2010)10月吉日
 中野家9代当主 中野正人



  布袋尊の由来と七福神
 布袋尊は
中国の契此(かいし)という禅僧で、その名の由来ともなる布製の袋を持ち諸国を遊行し、常に笑顔で酒脱、楽天的な布袋和尚として親しまれ、弥勒菩薩の化身と言われ数多くの人々から信仰されました。

また人簿との吉凶、時の晴雨を予知したとも言われています。

 ※契此は明州(現在の中国 浙江省)出身 唐代末期から後梁にかけて活躍した実在した人物と伝わっています。

 日本では、
七福神の中で唯一実在した人物として、清廉潔白、大気度量を人々に授ける福の神として信仰されています。

 ご利益・・・円満・福徳・度量・大量・子宝
 七福神以外にも十八羅漢の一人としても数えられています。
 
 

 七福神ご利益紹介
恵比寿神    商売繁盛・大漁の神様
大黒神     豊作の神様
弁財天     学問・財福の神様
毘沙門天    勝負ごとの神様
布袋尊     福徳・開運・良縁の神様
福禄寿     福徳長寿の神様
寿老人     長寿・幸福の神様
 





所在地 豊島区南池袋2-20-4

日蓮宗
 松栄山 仙行寺



雑司が谷七福神
 福禄寿

 


所在地 豊島区雑司が谷3-15-20 (鬼子母神堂)

 大黒天堂
東京別院の大黒天尊像は功徳院大分本院に祀られる、『福録大黒天尊像』を分祀したものである。
当山は弘仁7年(816)、弘法大師空海上人が和歌山県高野山に開いた真言宗(本山金剛峰寺)の末寺で、延宝5年(1677)3月、大分県に松平家の子孫を祀る祈願所として建立。元は松栄神社の内官寺であったため、明治18年(1885)、護国神社の大増築に伴い、現在の大分県庄内町の権現岳(通称城山)に移転。以降、地域の零場として、僧侶の修行道場として栄え、現在も無数の石仏が城山山中に奉納されている。
『福録大黒天尊像』は功徳院の中興と、万民の幸せを祈念し、平成6年(1994)5月、大分本院の城山山頂(標高216米)に2年がかりで奉納安置された。
この尊像は中国山東省において赤御影石で彫刻されたもので、高さ3メートル、重さ18トン。一石彫りとしては国内最大級の大きさである。
大黒天は七福神の一で仏法僧(三宝)を好む福の神として産業振興、商売繁盛、家内安全、除厄招福などの霊験あらたかである。
東京別院の大黒堂は、大分本院『福録大黒天尊像』の霊験あらたかなるを、より多くの方にご享受いただき、その功徳とご利益のご縁を結んでいただく為に建立した。
この大黒堂に無数に奉納されている小さな『お願い大黒天』は、庄内福録大黒天尊像の五十分の一の大きさにかたどったもので、功徳院縁者の方々が種々の願いを託し奉納している。
大黒天は二体奉納され、一体は大黒堂に、名前・祈願を刻み奉納安置され、大黒天の縁日・甲子の日には大黒法を執り行う。もう一体はご自宅にお祀りするか、大分本院の大黒天の元に奉納するかを選択することが出来る。
多くの皆様の「信仰」「願い」を大黒さまという「像(かたち」)に託し、天下泰平、万民快楽なることを祈念したい。
 龍源山 功徳院



雑司が谷七福神
 大黒天



所在地 豊島区駒込5-5-1 (染井霊園)

 松浦詮墓

 肥前国平戸藩最後の第12代藩主

 


所在地 豊島区駒込5-5-1 (染井霊園)

 松浦陸墓
 財団法人松浦史料博物館創設

 


所在地 豊島区駒込5-5-1 (染井霊園)

 藤堂高潔墓

 伊勢津藩三十二万石12代当主

 


所在地 豊島区西池袋2-31-3

 自由学園 明日館みょうにちかん
 羽仁もと子・吉一夫を費やし保存修理が行われました。中央棟、東西教室棟および道路南側の講堂からなっておりウィスコンシンの大平原を舞台としてライトが発想した草原住宅のたたうまいが特徴となっています。
 学校法人 自由学園

    JIYUGAKUEN MYONICHIKAN
    (NATIONAL IMPORTANT CULTURAL PROPERTY)
Myonichikan (the house of Tomorrow) was designed and durting 1921-1927 as the facilities of Jiyu Gakun a private school founded by Mr.Yoshikaza and Mrs.Motoko Hani. It was designed by world-renowned American architect Mr.Frank Lloyd Wright with asistance by Mr.Arata Endo.Based on Mr.Wright's innovative design and owing to the relative scarcity of his works that remain in Japan the government In 1997designated Myonichikan a national important cultural property .Three years of restopation  were completed in November 2001.
  JIYU GAKUEN









 自由学園 明日館には『明日館の梟』があります。
 




所在地 豊島区西池袋2-31-3 (自由学園 明日館)

 明日館の梟
明日館は大正10年(1921)に自由学園がこの地に設立された時の校舎です。この梟像は豊島区の区制70周年を記念した事業で「梟の路」として設置された物です。平成15年(2003)に自由学園の生徒たちが明日館に所縁のある大谷石で製作しました。
豊島区・梟の樹を創る会をはじめ近隣の皆様のご協力をいただきました。
梟デザイン・製作・詩 自由学園男子部64回生(製作時・高等科3年)
題字・詩書家  望月氿蔭
企画  梟の樹を創る会
設立  平成15年(2003)11月29日








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永山
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