東京都豊島区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 豊島区高田1-19-16 真言宗豊山派 大鏡山 南蔵院 薬師寺 本尊 薬師如来 開基 円成比丘 室町時代永和2年(1376)寂 総本山 長谷寺 奈良県桜井市初瀬 祖師 宗祖 弘法大師(空海) 中興祖 興教大師(覚鑁) 派祖 専誉僧正 札所 御府内八十八ヶ所 第29番 豊島八十八ヶ所 第41番 開宗と三祖 即身成仏の教えを説く密教は7世紀頃インドに起こり、8世紀には中国に伝わり、平安初期に弘法大師によってわが国にもたらされ、真言宗として開宗されました。 興教大師は、平安時代末期、弘法大師に教えを深く研究し、時代に合った新しい真言密教の教えを興しました。 その教えを受け継ぐ専誉僧正が、戦国時代大和長谷寺に入り、豊山派の基礎を築かれました。 豊山とは総本山長谷寺の山号です。 ご宝号 南無大師遍照金剛・南無興教大師・南無専誉僧正 真言宗豊山派に属し、大鏡山薬師寺南蔵院という。寺伝では、開山は室町時代の円成比丘(永和2年〔1376〕寂)とされる。本尊の薬師如来は、木造の立像で、奥州藤原氏の持仏といわれ、円成比丘が諸国遊化のとき、彼の地の農家で入手し、奉持して当地に草庵を建て安置したのが開創であると伝えられる。 正徳6年(1716)の「高田村絵図」(東京都公文書館蔵)には、境内部分に「薬師堂」・「南蔵院」の文字の他、山門、薬師堂と思われる建物、および樹木三本が描かれている。また、江戸時代の地誌にも紹介されており、『江戸名所図会』や『新編武蔵風土記稿』では、徳川三代将軍家光がしばしば訪れたと記している。 現在の境内には、元禄9年(1696)に神保長賢により寄進された山吹の里弁財天の石碑と手水鉢や、庚申塔、六地蔵、彰義隊九士の首塚などの石造物があるほか、墓地内には、相撲年寄である片男波、粂川、雷、音羽山、二子山、花籠などの墓がある。また、三遊亭圓朝作の「会談乳房榎」にゆかりの寺でもある。 平成21年(2009)3月 豊島区教育委員会 名作怪談乳房榎ゆかりの地 昭和48年(1973)8月 大鏡山南蔵院 豊島を語る会 江戸町名俚俗研究会 新宿郷土会 江都文化財研究会 江戸から東京への会 新宿史跡之会 円朝考文集刊行会 江戸時代の高田村 天保5年(1834)に刊行された『江戸名所図会』では、高田村付近の様子が、長谷川雪丹による三枚の挿絵付きで紹介されている。 「高田」と題された挿絵の中央に南蔵院が配され、境内に薬師(堂)と鶯宿梅が描かれている。 鶯宿梅は、江戸幕府三代将軍徳川家光が自ら植えたといわれ、このときすでに枯れていたとされるが、『新編武蔵風土記稿』では、鶯宿梅の実から育った木が院内にあると記している。 南蔵院の前には右橋、付近には高札場や茶店、道には籠・馬などが描かれている。道を隔てたところには氷川神社がある。これらの位置関係や道の曲がり方などは、現在もほとんど変わっておらず、江戸時代の名残りをとどめている。 平成21年(2009)3月 豊島区教育委員会 南蔵院には『忠魂碑』、『佛塔供養碑』があります。 PR |
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永山
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