東京都豊島区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 豊島区駒込6-11-4 真言宗豊山派 藤林山 歓喜院 西福寺 豊島八十八ヶ所霊場62番札所 真言宗豊山派の寺院で、藤林山歓喜院と号し、西ヶ原無量寺の末寺である。 本尊は、徳一大師の作といわれている木造阿弥陀如来立像である。創建の年代は明らかでないが、「江戸切絵図」や「江戸名所図会」・「新編武蔵風土記稿」などにも記事があり、駒込に江戸時代から続く寺院である。 この寺が位置する染井地域は、江戸時代、大名屋敷が多くあり、近くに津藩藤堂家の下屋敷があったことから、その祈願寺となっていた。また、近隣には植木屋も集住しており、その菩提寺ともなっていた。 かつての境内地は、非常に広大であったが、明治維新後に縮小されたといわれている。 境内には、明暦元年(1655)に造られた六地蔵がある。これは「六道」すなわち地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道について教えを説くための六体の地蔵が刻まれたものであり、豊島区内では最古のものである。 墓地には、徳川将軍家の御用を務めた植木屋として名高かった伊藤伊兵衛政武(4代目、宝暦7年〔1757〕没)の墓がある。政武は樹仙と号し、『増補地錦抄』などを著わした、江戸時代の先駆的な植木屋である。この墓所は、東京都史跡に指定されている。 平成23年(2011)3月 豊島区教育委員会 西福寺には『伊藤政武墓』、『伊達慶邦公墓址記念碑』があります。 PR |
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永山
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