東京都豊島区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 豊島区西巣鴨4-8-25 (善養寺) 武蔵川喜偉之碑 武蔵川喜偉は明治42年(1909)3月1日東京府下南葛飾郡大島町に生る 姓は駒沢 名は国一 実父の知人本所警察署高野署長が横綱常陸山と同郷の縁にて出羽海部部屋に入門 大正14年(1925)1月初土俵を踏む 入門後も府立三中現両国航行に通学し向学の念極めて強し 大正14年(1925)5月出羽ノ子と名乗り新序 昭和2年(1927)1月出羽ノ花と改む 昭和7年(1932)2月新入幕時に24歳幕内在位16場所 昭和15年(1940)5月引退 市川姓に更る 年寄武蔵川を襲名し昭和20年(1945)推されて理事兼勝負検査役 昭和33年(1958)取締となる この間経理建築土木を学び協会経営の近代化に盡瘁す 昭和43年(1968)理事長に就任 多年培いたる才能を発揮し顕著なる功績を挙ぐ 昭和49年(1974)相談役 昭和51年(1976)相撲博物館長となる 生来頭脳明哲 性情清廉潔白事に処するに熟慮断行協会の体制改革に敏腕を揮う 蔵前国技館の建設に当っては東奔西走 数多くの艱難を克服して完成し着々と業績を伸ばし経営の合理化健全化に全力を投入 両国新国技館新築の財源を蓄積してその基盤を鞏固にし、昭和60年(1985)1月新国技館完成を見るや往時を顧み感慨無量なりしと推察す 昭和45年(1970)11月多年の功を以て藍綬褒章を受章 昭和54年(1979)11月勲三等瑞宝章を拝受する光栄に浴す 昭和62年(1987)5月30日宿病のため天命を完す 協会は昭和62年(1987)6月2日協会葬を以て其霊を慰す 生前の功績を讃えて正五位に叙せらる 其栄誉燦として霊前に輝く 昭和63年(1988)1月30日 理事長 春日野清隆撰文 六代目 出羽海智敬建立 25代式守伊之助謹書 PR |
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永山
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