東京都豊島区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 豊島区駒込5-5-1 (染井霊園) 長池堤 長池は、かっての谷戸川の水源にて、古地図(安政3年〔1856〕の「駒込村町一円之図」)によれば巣鴨の御薬園と藤堂家抱え屋敷にまたがる広大なもので長さは八十間(約158m)幅は十八間(約32.4m)もあったという。 この池は現存していないが、この案内板下のくぼ地の一帯がその跡地(約半分で残り半分は道路部分)と思われる。 かっては清らかな湧水が池を満たし、清流となって染井霊園沿いに流れていた。 池から西ヶ原あたりまでは「谷戸川」、駒込の境あたりで「境川」、北区にひり田端付近で「谷田川」、さらに下流の台東区根津付近からは、「藍染川」と呼ばれて不忍池に流れこんでいた。(全長約5.2m) 明治末期には周辺の開発等もあり、湧水も減少して池も小さくんり大正に入って埋め立てられた。 ここに、在りし日の湧水清らかな「長池」とその清流「谷戸川」をしのび記念の一文を残すものである。 平成14年(2002)3月 ソメイヨシノの咲き乱れる佳日に 東京都染井霊園 所在地 豊島区駒込5-5-1 (染井霊園) 萩野由之墓はぎのよしゆき 佐渡萩野氏家祖より第四世まで、墓ハ相川永宮寺にあり、第五世由之に至り東京に住す。史料編纂官補萩野懐之ハ文学博士由之の嗣子、第六世たり。明治10年(1877)11月22日生れ、43年(1910)11月16日夜歿す、享年34、私小文恪と諡す。配らね子林氏、一女あり、名を淑子といふ。 文学博士萩野由之母知恵子。大正10年(1921)1月20日没。享年81。法名妙慧。 大正10年(1921)9月三世咲慶君夫妻四世肇慶君の遺骨を分ちて合葬す。 第五世帝國学士院会員東京帝國大学名誉教授従三位勲二等文学博士、萩野由之は大正13年(1924)2月2日薨す、享年65、配りゑ子丸岡氏、一男あり、名は懐之先方で歿す。 第五代懐之妻よね昭和44年(1968)7月7日歿 以下萩野姓を名のる子孫みなこの奥津城に葬ること、せり 平成15年(2003)5月 佐渡永宮寺より先祖代々の御霊をこおに合祀せり |
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永山
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