東京都豊島区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 豊島区南池袋3-17 (法明寺) 楠公息女墓 建武の中興に大功のあった楠正成は戦術家としても名高いが、その息女の墓と言われ別名「姫塚」とも呼ばれる。 昭和49年(1974)3月30日 豊島区教育委員会 PR 所在地 豊島区南池袋3-17 (法明寺) 豊島氏墓 豊島氏は平安朝の末期から、鎌倉、室町時代にかけてこの辺り、武蔵の地一帯にかけて勢力をもっていた一族であるが、文明10年(1478)太田道灌に改め落された。その生き残りの一族の中で後、徳川氏に仕えて八丈島の代官になった豊島忠次(1643没)を中心にその一族の墓である。 昭和49年(1974)3月30日 豊島区教育委員会 豊島家は桓武天皇の皇孫高望王を始祖とし豊島次郎武帝始めて豊島姓を名のる。源頼家に仕へ前9年の役に出陣、豊島康家八幡太郎義家に従い後三年の役に出陣、豊島清光保元の乱以来交際のある源頼朝に仕へ信任に應へ鎌倉幕府開設に盡力す。一族は平安朝末期より室町中期に至る約400年間現在の東京都豊島・練馬・足立・板橋・荒川・北・文京・台東の諸区を所領としその周辺一帯に勢力をのばしていた。然るに文明年間泰経の代に足利氏の内輪もめに巻き込まれ扇谷上杉家と戦う羽目になり敵将太田道灌との江古田原沼袋の合戦に敗れ全滅その後一族中生き残りの豊島忠次は旗本として徳川家康に仕う、泰利を経て泰盈の時、享保5年11月武州王子熊野社別当宥相の望みに依り家系略(金輪寺本豊島系図)を奉納その際家蔵往昔系図旧記は頗る乱雑故之を整理し子孫及一族のため系譜一巻(泰盈本豊島系図)を伝う以後数代を経て豊島作兵衛泰道の代に至り徳川幕府は瓦解一時知行地千葉県木更津市小原半兵衛氏方に滞留し明治維新を迎える。 豊島作右衛門忠次(菩提寺威光山法明寺) 永禄7年(1564)豊島経忠の長男として関東武蔵の国豊島郡に生る。天正19年(1591)遠州及江州徳川幕府直轄天領代官在任中滋賀県亀岡・松岡の両山間部を利用し広大な灌漑用水地を創設早田四十余ヘクタールをうるほす難工事に領民と共に取り組み完成す。寛永15年(1638)八丈島代官を勉む。寛永20年(1643)癸未2月13日没、80才。法名法善院日養 白井平兵衛尉勝久(豊島経忠の孫弥母氏徳川家継生母月光院付大年寄絵馬の祖父)寛文12年7月23日没、法名高雲院日勝(宗圓)明治23年(1890)2月当主信雄雑司ヶ谷法明寺の墓碑を整理し豊島家先代々合葬儀の際、了達院殿義勇日進居士(俗名豊島作兵衛泰道)夫妻を改葬す。 昭和60年(1985)5月墓地を整備し先祖代々の追善供養を行う。 所在地 豊島区南池袋3-18 (法明寺東墓地) 安藤家墓所 定恵院殿前對州刺史不■覚海大居士看松院殿圓覚義心大姉従四位下侍従前對州大守 法融院殿顕實意證得悟日凖大居士融法院殿顕理法實日悟大姉 陸奥磐城平五万石(のち三万石)4名の法名が刻まれている 三代重博・室、六代信成・室 所在地 豊島区南池袋2-20-37 (本立寺) 神木隊戊辰戦死之碑 戦死者 戸井田源之丞 金井弥一郎 三宅八五郎 藍田又五郎 大野吉之助 藍葉老之丞 古橋丁蔵 酒井■太郎 太谷栄次郎 風間駒吉 林一弥 新島猪之助 中村鋳三郎 藤野伊之助 遠山鐘五郎 福島鐘吉 蟹江錦之助 川島金次郎 栃堀休次郎 金井米蔵 石井八弥 四宮武三郎 野間平左衛門 桃村源左衛門 伊崎真太郎 大正元年(1912)壬子11月建 建設者 橋本真義 早野信高 渡部千之助 川島良知 香西蠖郎 吉田真道 鍋田吉資 中根半嶺 中根半湖 村田盛孝 内山光謙 野間信真 江坂鐘太郎 中根半湖書
享保18年(1733)木村氏が弦巻川に石橋を架けた記念に建立し、亡き両親の供養塔を兼ねていた。かつてここで村人の葬礼、野辺送りが行われた。
豊島区 所在地 豊島区南池袋4-2-7 石橋記念供養塔 享保18年(1733)木村氏が弦巻川に石橋を架けた記念に建立し、亡き両親の供養塔を兼ねていた。かつてここで村人の葬礼、野辺送りが行われた。 豊島区 所在地 豊島区南池袋2-12-5 (中野ビル) 雑司が谷七福神 布袋尊 有限会社中野ビル 布袋尊像は、大正6年(1917)7代当主中野岩雄の弟により親子像として建立された後、中野岩雄による株式会社中野石材商店の店頭に祀られて以来92年間池袋の歴史を見守り続けています。 株式会社中野石材商店では、昭和10年(1935)9月大塚天祖神社に狛犬一対をお納めしており現存しております。 親の布袋尊像の右肩は東京大空襲(昭和20年〔1945〕3月10日) 城北大空襲(昭和20年〔1945〕4月13日)の2度の空襲により破損戦禍の生き証人でもあります。 昭和62年(1987)7月7日8代当主中野馨(かおる)により第六・七中野ビルが落成した際に、当ビル前に布袋尊像を安置致しました。 平成22年(2010)1月地元渡邉隆男氏・菅原光生氏・戸張真克氏の、神仏に対する畏敬の心を醸成し地域の活性化と地域のコミュニティーの向上を目的とした雑司が谷七福神の設置趣意に賛同し、9代当主中野正人が社造営に着手同平成22年(2010)10月竣工いたしました。 平成22年(2010)10月吉日 中野家9代当主 中野正人 布袋尊の由来と七福神 布袋尊は 中国の契此(かいし)という禅僧で、その名の由来ともなる布製の袋を持ち諸国を遊行し、常に笑顔で酒脱、楽天的な布袋和尚として親しまれ、弥勒菩薩の化身と言われ数多くの人々から信仰されました。 また人簿との吉凶、時の晴雨を予知したとも言われています。 ※契此は明州(現在の中国 浙江省)出身 唐代末期から後梁にかけて活躍した実在した人物と伝わっています。 日本では、 七福神の中で唯一実在した人物として、清廉潔白、大気度量を人々に授ける福の神として信仰されています。 ご利益・・・円満・福徳・度量・大量・子宝 七福神以外にも十八羅漢の一人としても数えられています。 七福神ご利益紹介 恵比寿神 商売繁盛・大漁の神様 大黒神 豊作の神様 弁財天 学問・財福の神様 毘沙門天 勝負ごとの神様 布袋尊 福徳・開運・良縁の神様 福禄寿 福徳長寿の神様 寿老人 長寿・幸福の神様 |
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