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東京都豊島区の歴史
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所在地 東京都豊島区西池袋1-8 (池袋西口公園)

  ショヒド・ミナール(言語への愛の記念碑)
 この記念碑は、ここ池袋西口公園でのジャパン・バングラデシュ・ソサエティ主催によるボイシャキ祭り(バングラデシュのお正月祭り)の開催をきっかけに始まった、豊島区とバングラデシュの文化交流の象徴として、平成17年(2005)7月12日、バングラデシュ人民共和国ベガム・カレダ・ジア首相閣下から豊島区へ寄贈されたものです。
 ショヒド・ミナールは、ベンガル語を護った人々を称えるモニュメントであり、ユネスコ総会において全会一致で宣言された「国際母語の日(2月21日)」を象徴するものとされたいます。
 中央の部分は、母親である言語を、両側の4基は、それを守る子どもたちを表しています。
 豊島区
 バングラデシュ人民共和国

                   Shaheed Minar  
         Monumento of the Love to Language
 This monumennto was presented to the City of Tshoma on July 12,2005,from the honorable Begum Khaled Zia,Prime Minister of the Government of the People's Republic of Bangladesh,as a symbol of the cultural ezchanges between Toshima and Bangradesh,which started with the Boishakhi Mela(Bangladeshi New Year festival) held by Japan Bangladesh Society in Ikebukuro West Exit Park.
 Shaheed Minar is a monument for respecting those who protected Bangla language,and symbolizes International Mother Language Day (February 21),which was determined by a unanimous vote of a UNESCO general meeting.
 The central part represents language as a mother,and the four figures around it symboleze children protecting the Language.
 Tshima City 
 People's Republic of Banguradesh.


所在地 東京都豊島区西池袋1-8

  豊島区立池袋西口公園



 池袋西口公園内には『言語への愛の記念碑』、『東京府豊島師範学校発祥の地碑』、『野外ステージ』があります。





所在地 東京都豊島区西池袋1-8 (池袋西口公園)

 この池袋西口公園野外ステージは、豊島区の区政70周年記念事業として建設されたものです。
 従来、池袋西口公園は文化的行事から商業イベントまで幅広く事業を展開できる多目的公園として区内でも最も多く利用されており、予てから本格的ステージの建設が地元より熱望されておりました。
 そこで、区政70周年を機に、地元の各種団体および企業・個人・商店街・町会等の皆様方を中心に、街の活性化と商店街の振興に資する文化情報発信基地としての常設ステージの建設気運が高まり、この趣旨に賛同して頂いた下記の皆様からの寄附金で建設され、豊島区に寄贈されました。

     元気な豊島区をつくる会 会長 渡邊輝


 <団体>
池袋西口商店街連合会
池袋西経済懇話会
池袋西口駅前商店会
池袋西口駅前名店街
東京池袋西ロータリークラブ
(社)江戸消防記念会(第4区)
サンシャイン通り商店会
御嶽神社総代会
池袋第三地区16町会
池袋西口銀座通り商店会
池袋西口中央通り商店街
立教通り商店街
池袋西一番街商店会
池袋平和通り商店街
東京商工会議所豊島支部
西池袋エビス通り商店会
池三商店街
池袋坂下通り商店街
東京都印刷工業組合豊島支部
東京西北特定郵便局長会
トキワ通り商店街
豊島青色申告会
豊島区アーチェリー協会
豊島区明るい社会づくりの会
豊島区高齢者倶楽部
豊島区信金協議会
豊島区身体障害者福祉協会
豊島区造園協会
豊島区体育協会
豊島区中小企業診断士会
(社)豊島産業協会
豊島市場自治会
豊島税理士政治連盟
豊島浴場組合
冨士見商店会
宮仲町会
目白山紫町会
豊島区印刷関連産業団体協議会
豊島区ダンス・スポーツ協会
東京都鍍金工業組合城西支部

 <法人>
渡邊建設㈱
㈱新光商事
㈱喫茶サンキュー
㈱ウエマツ
㈱東武百貨店
大晃建設㈱
浦野工業㈱
京北自動車交通㈱
巣鴨信用金庫
大和産業㈱
東京信用金庫
西池袋ビルディング㈱
㈱ビックカメラ
平成住宅㈱
㈲安達商事
医療法人宏明会 池袋大久保病院
㈲オリジン岩田ビル
キクエイビル㈱
藤久地所管理㈱
㈱藤久不動産
東武ホープセンター
二和電気㈱
池袋ターミナルビル㈱
㈱歌工務店
大江戸観光㈱
株木建設㈱
共和興業㈱
㈱小林一工務店
佐多建設㈱
㈱島村工業
西武建設㈱
東日本印刷㈱
㈱日出
㈱フジ
扶桑建設㈱
㈱堀田建設
松本建設㈱
東都化学工業㈱
㈱文宣

 <個人>
青柳謙一郎
渡邊輝
青木勝好
星明良
恩田幸正
矢島富美
恩田充啓
中村誠
大内隆
河野名敏彦
■瀬靖子
須藤和由
戸■貞夫
宮田和■
石原佑浩
尾上多■郎
後藤和■
植村和一
坂本貞夫
■鳥真一
春田稔
松本賢一
森田治久


所在地 東京都豊島区西池袋1-8 (池袋西口公園)

  < 沿革の概要 >
明治41年(1908年)11月 東京府豊島師範学校設置告示
明治42年(1909年)4月 此の地に校舎新築・開校
明治44年(1911年)4月 附属小学校開設
昭和18年(1943年)4月 東京第二師範学校と改称
昭和20年(1945年)4月 空襲により附属校舎を残して全焼
昭和22年(1947年)1月 本校小金井の地に移転
昭和24年(1949年)5月 東京学芸大学に発展し附属小学校は附属豊島小学校と改称
昭和39年(1964年)3月 豊島小学校小金井に移転

    昭和48年(1973年)3月建之
        豊島師範学校同窓会 撫子会
        同 附属豊島小学校  同窓会



所在地 東京都豊島区池袋3-1-6

曹洞宗
 瑞鳳山 祥雲寺しょううんじ



 祥雲寺は後北条氏の重臣江戸城主遠山隼人正景久によって、永禄7年(1564)に江戸城和田倉門内に駒込吉祥寺の末寺として創建されたのが始りで、開山は吉祥寺安充和尚である。当初は景久の室(北条上総介綱成の娘)の菩提所として法号にちなみ浄光院と称し、永禄7年(1564)に戦死した景久の法号から瑞鳳山浄光院と号した。



 天正18年(1590)後北条氏滅亡にともない遠山氏も退転したため、しばらく吉祥寺の隠居所となり、神田台(駿河台)、小日向金杉、小石川戸崎台と移転した。
 寛永6年(1629)に信州松本藩主戸田氏が壇越となり、数度の火災の復興に際しても多大な尽力をした。宝永6年(1709)、5代将軍徳川綱吉の死により御台所が落飾して浄光院殿と称したのち憚かり、戸田氏最初の壇越康長の法号により瑞鳳山祥雲寺と改号した。




 当地への移転は明治39年(1906)であり、重宝類は昭和9年(1934)の火災に焼失した。現在の本尊の薬師如来は胎内銘によれば、天正17年(1589)の造立になるという。墓地には戸田家代々の墓、酒豪として知られた三浦樽明、首切り浅右衛門の7代山田浅右衛門などの墓がある。
  昭和56年(1981)3月 東京都豊島区教育委員会



 祥雲寺境内には『梟碑』があります。


所在地 豊島区南池袋4-25-1

 東京都立 雑司ヶ谷霊園(御鷹部屋跡)
  御鷹部屋と松
 このあたりには、江戸時代中期の享保4年(1719)以降、幕府の御鷹部屋がありました。
 御鷹部屋には、鷹匠頭をはじめ目付、同心など常時7、80名がおり、鷹狩りに用いる鷹の飼育や訓練などを行っていました。
 また、鷹狩りの際には、将軍が立ち寄って休息したり、食事をとったりしたこともあったようです。
 御鷹部屋敷地内には松の木がありました。この松の木は、投じのようすをしのばせてくれます。



 雑司ヶ谷霊園には『ジョン万次郎墓(中濱万次郎墓)』、『永井荷風墓』、『金田一京助墓』、『竹久夢二墓』、『泉鏡花墓』、『サトウハチロー墓』、『小泉八雲墓』、『ラファエル・ケーベル墓』、『夏目漱石墓』、『羽仁もと子墓』、『岩瀬忠震墓』、『喜多村緑郎墓』、『金子馬治墓』、『小栗忠順墓』、『森田草平墓』、『成島柳北墓』、『大塚楠緒子墓』、『中村是公墓』、『窪田空穂墓』、『中村是公墓』、『島村抱月墓』、『萩野吟子墓』、『網島梁川墓』、『武林無想庵墓』、『東儀鉄笛墓』、『』、『』、『』、『』、『』、『』があります。







 御鷹部屋と松













所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 サトウハチロー墓
ふたりでみると
すべてのものは
美しくみえる    サトウハチロー






  サトウハチロー(1903~1973)
戦前の「二人は若い」、戦後の「リンゴの唄」の流行歌で圧倒的な人気を生んだ詩人。若い日の無頼を心配した小説家の父紅緑は、現在の豊島区上池袋3丁目に世帯を持たせた。ラジオドラマ「君の名は」の脚本家菊田一夫も同居。



所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 ジョン万次郎墓(中濱万次郎墓)(1827~1898)
土佐(高知県)中浜村の出身。14歳での出漁で遭難し、アメリカ船に助けられ米国に渡る。米国で航海術などを学び、その新知識と英語力で重用され、通訳としても活躍。







所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 ラファエル・ケーベル墓 指定 昭和29年(1954)11月3日
 ケーベル(1848~1923)はドイツ系ロシヤ人で、モスクワで音楽を学んだのち、イエナやハイデルベルグで哲学、文学を学んだ。明治26年(1893)招かれて東京大学講師となり、21年にわたりドイツ文学、ラテン語などを講じ、かつ、東京音楽学校でピアノを教えた。ケーベルは超越的汎神論によって日本の学界に大きく影響を与え、さらには日本の哲学が学問として確立するための基礎を与えた。ギリシヤ古典をはじめとする西欧的教養への紹介は多くの感化をもたらし、高山樗牛、阿部次郎、安倍能成、和辻哲郎、九鬼周造らを育て、日本の近代文学の形成に寄与した影響は大きい。大正12年(1923)6月14日横浜で死去。年75著書「ショーペンハウエルの哲学」「ケーベル博士小品集」などがある。
 昭和44年(1969)10月1日建設  東京都教育委員会


所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 羽仁もと子墓(1873~1957)
キリスト教徒として、西池袋に新しい教育を目指して自由学園を創立。当時の校舎、明日館(みょうにちかん)はフランク・ロイド・ライトの設計で国の重要文化財。雑誌『婦人之友』を創刊。彼女の学んだ「明治女学校」には大塚楠緒子(おおつかくすおこ)も通い、女医第一号の荻野吟子はその学校の校医。




所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 永井荷風墓(1879~1959)
墓を作るなら「浄閑寺に」と言っていた荷風の墓が父久一郎(禾原・かげん)と並んでいる。時代に背を向けて江戸趣味を追い、上田敏の言う「真の享楽主義者」としての生を貫いた。『柳橋新誌(りゅうきょうしんし)』の成島柳北を深く慕った。










所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 夏目漱石墓(1867~1916)
当時の雑誌『太陽』が募集した文化人の人気投票で毎年第一位。『こころ』に雑司ヶ谷霊園を描く。小泉八雲が東大を去った後の東大講師。親友の中村是公(東京市長)や、大塚保治と妻の楠緒子、門下の森田草平、敬愛したケーベルも。







所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 金田一京助墓
一世ノ碩学金田一京助ノ霊コノ下ニ眠ル 京助ハ言語学者ニシテ特ニあいぬ語ニ精シク あいぬ叙事詩ゆうからヲ発見シテ世ニ伝エ マタあいぬ語文法ノ大要ヲ諦ム前人未踏ノ業蹟ニシテ ■■■文学博士恩賜賞ヲ受ク卒ウ 宮中ヨリ勲一等瑞宝章ヲ賜ワリ従三位ヲ贈ラル一介ノ学者トシテ破格ノ待遇ト言ウベシ 京助マタ花明ト号シテ学究ノ余暇ヲ短歌ニ親シム 某年ニ一株桜ノ時ナラヌニ満開セルヲ見ル スナワチ感ヲ催シテ右ノ詠アリ ココニ録シテソノ風ヲ懐シム
 昭和47年(1972)2月21日 不肖春彦 撰文建碑





  金田一京助(1882~1971)
アイヌ語また、アイヌの叙事詩『ユーカラ』の発掘や言語研究で業績を残す。若い日に新詩社の『明星』に加わり短歌に親しむ。中学の後輩石川啄木を短歌に誘い、物心両面で支えた。この『明星』には一時、詩人窪田空穂も加わっている。



所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 小栗忠順墓(1827~1868)
「明治の父」と司馬遼太郎が言う、幕末の開明派の幕臣。「日米修好通商条約」批准で渡米。その随行艦「咸臨丸」には勝海舟、福沢諭吉ら。中濱(ジョン)万次郎が通訳をした。岩瀬忠震(いわせただなり・肥後守)も開明派の幕臣。






所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 小泉八雲墓(1850~1904)
父はアイルランド人、母はギリシャ人。アメリカで新聞記者などをしたあと来朝して帰化。東大講師時代、哲学の講師ケーベルと同僚であった。講師辞任の時、小説家の武林無想庵(たけばやしむそうあん)らが留任運動をした。








所在地 豊島区南池袋4-25-1 (雑司ヶ谷霊園)

 泉鏡花墓(1873~1939)
10歳で失った母の鈴を生涯追慕し、師の尾崎紅葉を神格化するほどに仕えた。芸者(本名すず)との結婚を紅葉に反対されたいきさつが小説『婦系図(おんなけいず)』に。新派の舞台で多くの人の泪を誘った。名優喜多村緑郎もここに。







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