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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区巣鴨5-35-6 (本妙寺)

 明暦大火供養塔
本妙寺と明暦の大火
 明暦の大火は通称振袖火事とも呼ばれ、史上最大の火事で歴史上では本妙寺が火元とされている。この火事により18万8千人の命が失われた。
 しかし、本当は本妙寺は火元ではない。
 幕府の要請により火元の汚名をかぶったのである。理由は、当時、江戸は家事が多く、幕府はひもとに対しては厳罰をもって対処してきたが、当山に対しては一切お咎めなしであった。
 それだけでなく、大火から3年後には客殿、庫裡を、6年後には本堂を復興し、10年後には富山が日蓮門下、勝劣派の触頭に任ぜられている。
 (触頭とは、幕府からの通達を灰化の寺院への伝達や、本山や配下の寺からの幕府への訴願、諸届を上申達する役)
 これはむしろ異例な厚遇である。
 さらに、当山に隣接して風上にあった老中の阿部忠秋家から毎年当山へ明暦の大火の供養料が大正12年(1923)の関東大震災にいたるまで260年余にわたり奉納されていた。
 この事実からして、これは一般に伝わる本妙寺火元説を覆するものである。
 (大火の供養料なら、大火後幕府亜犠牲者のために創立した両国の回向院へ奉納すべきである。)
 大火の当日は朝から北西の強風が吹き荒れていたことはきろくにより明らかである。
 真相は、本妙寺に隣接して風上にあった阿部家が火元である。
 老中の屋敷が火元とあっては幕府の威信失墜、江戸復興政策への支障をきたすため、幕府の要請により本妙えらが火元の汚名を引受けたのである。
 そして、その結果として阿部家を失火の責任から救うということになり、それに対するお礼と解するのが妥当である。





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