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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区西巣鴨4-8-25 (善養寺)

 尾形乾山墓・尾形乾山碑
 江戸時代中期の陶工、画家光琳の実弟で「金の光琳・銀の乾山」と並び称された。
 名は惟允、通称は新三郎、権平といい、乾山は号。寛文3年(1663)京都に生まれた。画法を兄光琳に学び、陶芸は野々村仁清に学んで色絵陶器の感化を受けて、絵付け模様に特色を出し、高雅な作品を残している。当時の人は特に乾山焼と呼んで珍重した。後世乾山風として模倣作が多く、鑑別は非常に困難である。
 晩年江戸に下り、下谷入谷村に窯を開き寛保3年(1743)6月2日81歳で没した。下谷坂本にあった善養寺は、明治44年(1911)現地に移転した。
 平成6年(1994)3月31日建設 東京都教育委員会





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