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東京都豊島区の歴史
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所在地 豊島区巣鴨5-35-33 (慈眼寺)

 司馬江漢墓
 江戸時代後期の用具宇賀で蘭学者。安藤氏の子として延享4年(1747)江戸四谷に生まれた。名は安藤吉次郎という。のち唐風に姓を司馬、名を峻に改めた。字は君嶽、江漢は号である。はじめ狩野派に学んだが飽きたらず、浮世絵師鈴木春信に師事して、春重の名で「夏月図」などを発表した。明和7年(1770)春信没後春信の偽者を描くが長続きせず、二世鈴木春信を気取って鈴木春重と称して美人画を多く描いた。同時に平賀源内の紹介で南蘋派の宋紫石に学んで漢画を習得した。暗影年間秋田蘭画の指導者小野田直武から酔う風雅の教え
を受け、天明3年(1783)腐触同伴がの創製に成功した。晩年は老荘の思想に親しみ、文政元年(1818)10月21日72歳で死去した。本所猿江町にあった慈眼寺に葬られたが寺院の移転により改葬された。著書には『西洋画談』『春波楼筆記』『和蘭通舶』などがある。法名桃言院快詠寿延居士。墓標は生前に建てられた(文化7年〔1810〕)寿塔である。
 平成5年(1993)3月31日建設 東京都教育委員会



 日本で最初の銅版画の創製に成功した。代表作には「銅板東都八景」がある。また「西洋画談」その他を著して、洋画の長所を力説した。
 豊島区教育委員会



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